私のボディビルディング人生をご紹介します。
私は今日まで、ボディビルを初めて35年。
社会の荒波にももまれ、失敗や病気や挫折も行くたびか経験しました。
しかし、それらをすべて乗り越えてきました。
中でも、19歳の時にボディビルにめぐり会ったのが大きいです。
このボディビルを通じて、多くの恩恵を受けました。
そして、人生を変えてくれたのがボディビルだと言っても過言ではありません。
なにせ、やせっぽちのヒョロヒョロもやしっ子が「筋肉をつけて自分に自信を持てるようになった」のですから。
それで、今回は私のボディビル人生を振り返ってまとめてみました。

目 次

パンプアップが人生を変えた!

アイスホッケーに憧れて大学を選ぶ

私とボディビルディングとの出会いは、今から35年前の昭和58年、大学1年生の時でした。

実は、私はアイスホッケーをやりたくて大学に入学しました。

その理由は、小学2年生の時にテレビで見た札幌オリンピック(1972年)のアイスホッケー競技にあります。

初めて見たアイスホッケー。

競技の面白さに心を奪われました。

そして、子供ながら、アイスホッケーをやる男達に「強い男」を見出し、憧れるようになったのです。

そして、いつか自分もアイスホッケー選手になるんだ!と思うようになりました。

しかし、小学生当時、私が住んでいた京都ではアイスホッケーなんてできる環境ではありませんでした。(昭和47年頃)

なので、憧れはあったものの、いつしかアイスホッケーのことを忘れてしまっていました。

ところが、高校2年の時に、書店で「アイスホッケーマガジン」という季刊誌を発見し、感動しました。

そこには、アイスホッケー部がある大学が全国に多数あり、地方のリーグ戦や大学選手権も開催されている記事が載っていました。

「大学に行けばアイスホッケーができる! よっし、大学でアイスホッケーをやろう!」

こう決めた私は、アイスホッケー部がある大学を探して、受験し、合格して・・・

そこまでは順調だったのです。

しかし、いざ大学に入学して、あこがれのアイスホッケー部に入部するや否や、現実を突きつけられて・・・

理由は省略しますが、入部して2週間ほどで退部してしまいました。

失意の底から立ち上がったあるきっかけとは?

挫折してしまった私は、しばらく間、目標もなく大学に通う日々が続きました。

そんなある日、大学の体育理論の授業がありました。

理系の学部でしたが、1年次の一般教養課程で「体育理論」の授業がありました。

この体育理論の内容は、今でいうスポーツ科学の理論を解く授業でした。

そして、筋肉の発達のメカニズムやそれをどのように競技に生かしていくのかといった内容だったのです。

ただし、講義は先生が英語を交えて行っていたので、私はチンプンカンプンでした。

例えば、板書は全部英単語。

先生が発する言葉も

「マッスルファイバー(Muscle fiber)がね、・・・」

とか、

「ブイドットオーツー(VO2)がね・・・」

など。

今でこそ基本的な用語だとわかるのですが、当時はさっぱりでした。

同様に、クラスメイトも「わからん」と言っていました。

そして、

「2週間後にテストをするよ。しっかり勉強しておいてね」

と先生が言ったので、さあ大変。

私は、筋肉についての先生の説明が全く理解できなかった為、何かわかりやすい良い日本語で書かれた参考書はないかと大学の図書館に足を運びました。

そこで見つけた窪田登先生の「ウェイトトレーニング」という本が私のその後のボディビル人生の始まりとなりました。

その本にはトップボディビルダーの写真や筋力トレーニングの基礎的な方法が詳しく書かれており、非常に興味を覚えました。

初めてのパンプアップ

私は、早速大学の体育館に隣接されていたトレーニング室に行き、人生で初めてバーベルを握ることになりました。

そこで、「ウェイトトレーニング」の本に書かれていたトレーニング種目を実践しました。

ベンチプレス、ダンベルプレス、ベントオーバーロウイング、スクワット、バーベルカール、フレンチプレス、・・・

特に、胸の種目であるベンチプレスを数セット行った後に経験したパンプアップが凄かった。

「こんなに胸の筋肉がパンパンに張るなんて!」

筋肉が熱くなり、膨れ上がり、今にも身体から飛び出しそうな状態が私の胸周辺に起きていました。

初めて本物のパンプアップを経験したのです。

「これはすごい! 感動!」

本当に心の底から感じました。

そして、トレーニングした翌日、大学のクラスメイト達ににその時の感動を言いまわったことを覚えています。

それで、話は戻りますが、体育理論のテスト対策の参考書について。

窪田登先生の「ウェイトトレーニング」にある程度載っていたので、これで勉強することにしました。

そして、図書館に行ったときにもう1冊、とても良い本を見つけたのです。

体育理論で先生が話していた内容がすべて網羅された本。

筋肉発達のメカニズムから、各種スポーツ競技にどのように生かしていくか、トレーニングの方法論等が書かれた本です。

それが、宮下充正先生の「トレーニングの科学」です。

私は今でもこの本を愛用しています。

現在においても通用する基本理論が満載されている素晴らしい本です。

合理的で科学的でなトレーニングを行うためには何をしたらいいのかを教えてくれています。

例えば、

・スポーツで大事なパワーをアップする方法にはどんなものがあるのか。

・筋肉には速筋線維と遅筋線維があるが、その違いを理解してそれぞれに見合ったトレーニングはどのようにしたらいいのか。

・スポーツにおいて、筋肉と同時に大事な肺と心臓を鍛えるために、最大酸素摂取量を増すトレーニングはどのようにしたらいいのか。

・各種のトレーニングに見合った適切な正しい栄養摂取ははどのようにしたらいいのか。

・トレーニング法における男女の性差とスポーツの記録にはどんな関係があるのか。

・少年期、思春期、青年期、中高年期など年齢別に何を主眼にトレーニングをしたらいいのか。

など。

今後も少しづつ紹介していきます。

それで、初めて本物のパンプアップを経験した私が、次にとった行動は何だったのか?

次章でお話しします。

ボディビルジムに入会するのが恥ずかしい!

大学の運動部は怖い!

昭和58年6月。

大学のトレーニング室で、人生初のバーベル、ダンベルを使ったウェイトトレーニングを経験しました。

そこで、生まれて初めて本物のパンプアップを経験した私でした。

徒手での筋トレ(腕立て伏せや懸垂)やブル・ワーカーを使ったトレーニングは経験していましたが、これほどのパンプアップは未経験でした。

なので、衝撃的な「パンプアップ」を経験して、感動した後なので、普通なら、その大学のトレーニング室でトレーニングを定期的に行うという行動をとるのですが・・・

でも、そうしなかった。

何故か。

理由は、恥ずかしかったから。

そして、怖かったから。

そうです。

トレーニング室では、毎日のように、大学の運動部が補強運動を行うため使用していました。

アメリカンフットボール部、空手部、野球部、etc

当時、私はやせっぽちで、ガリガリだったので、彼らが使っている横で、一緒に使わせてほしいという勇気がありませんでした。

また、、窪田登先生の「ウェイトトレーニング」の巻末に載っていたトレーニングジムにも興味があり、家の近くのジムに行きたい気持ちがありましたが、やっぱり恥ずかしかった。

なので、先ず、自宅である程度の筋肉づくりをして、成果が出たら大学のトレーニング室でもトレーニングジムでも入会すればいいと決めました。

そこで、次にとった行動は、本屋に行くことでした。

窪田登先生の「ウェイトトレーニング」に載っていた情報を頼りに、月刊「ボディビルディング誌」を探して、購入しました。

トレーニングに関する知識を得るためともう一つ目的がありました。

それは広告を見ること。

月刊「ボディビルディング誌」に載っていた広告に、日本ボディビル連盟が推薦するトレーニング器具というものがありました。

・NEバーベルセット
・NEダンベルセット
・NEボディビルマシン

これらをアルバイトで稼いだお金を少しづつ貯めて、通信販売で購入し、自宅でトレーニングを開始しました。

自宅で、ベンチプレス、インクラインプレス、ディップス、チンニング、ベントオーバーロウイング、フロントプレス、ダンベルプレス、バーベルカール、インクラインダンベルカール、フレンチプレス、スクワット、レッグプレス、カーフレイズ、シットアップ、レッグレイズetc
を開始しました。

昭和59年1月4日からはトレーニング日誌もつけ始めました。

また、

・トレーニング種目の動作の仕方

・トレーニングメニューの組み方

・食事法

などの知識は、「ウェイトトレーニング」、月刊「ボディビルディング誌」、「トレーニングの科学」「スポーツマンの食事の取り方」、「図説 食品成分表」「健康体力ニュース」などから学び、実践で使いました。

勇気を出してボディビルジムに入会

そして、トレーニングを継続すること1年3ヶ月。

勇気を出して、ボディビルジムの門をたたくことになりました。

それが、池下アスレチッククラブです。

名古屋市千種区にあるトレーニングジムです。

現在はもうないようですね。

そして、そのジムでトレーニングを開始するのですが、ビックリすることが多々ありました。

それについては、次章でお話しします。

プロティンは飲まなくていい!

ボディビルの先生が登場

昭和60年4月。

1年3ヶ月の自宅筋トレの修業を経て、遂に勇気を出してトレーニングジムに入会しました。

池下アスレチッククラブです。

ジムのドアを開けて中に入ると、白い服を着たいかにもゴッツい男性が応対してくれました。

顔が真っ黒に日焼けして、半そでシャツからニョキっと出た太い腕も真っ黒に日焼けしていました。

この方が、ジムの会長のK先生です。

私に最初にボディビルを教えてくれた大恩人です。

どう見ても30代にしか見えないK先生でしたが、実年齢はその年に50歳になるという。

トレーニングを継続していると、見た目が若く見えることを知りました。

そして、入会した日にいきなり目の前で、140キロのベンチプレス10回を見せられました。

「まじすげぇ〜」

何せ、今まで、月刊ボディビルディングなどの書籍の写真でしか見たことのなかった筋肉マンを目の前で見た感動は忘れられません。

初日は、見学だけで終わりました。

入会当初は、大学の授業が早く終わった日の午後3時ころに自宅から自転車で通いました。

週3回。

しかし、昼間は空いていて良かったのですが、刺激が少ないのが悩みでした。

夜においで

するとK先生が、

「夜に来なさい。ビルダーが何人か来るから。刺激になるよ。トレーニングの方法も教わるといいよ。」

とアドバイスをもらいました。

それから、夜6時〜7時頃に行くようにしました。

すると、来るわ来るわのビルダ—軍団。

中でもSさんが凄かった。

ボディビルコンテストに出場しているという。

タンクトップからあらわになった巨大な筋肉。

トレーニングで扱う重量が半端ない。

K先生に続いて、ベンチプレスで120キロ×10回(補助付きで)

そして、みるみるパンプアップして汗にまみれた筋肉を間近でで見て

「ひぇ〜、すげぇ〜」

と感嘆しました。

そして、一番感じたこと。

それは、各人が雑誌や書籍に載っているトレーニングフォームとは異なるスタイルをとっていること。

そう。

これは、実際のトップビルダーのトレーニングを自分の目で確かめて初めて分かりました。

理由については別の機会にお話します。

私は自分が「井の中の蛙」であることを本当に思い知らされました。

これが本物のボディビルトレーニングなんや!

それからは、このボディビルの先輩たちとのお付き合いが始まりました。

正しいプロティンの使い方

そして、ジムに入会してビックリしたもう一つのトピックス。

それがプロティンの使用法についてです。

ジムに入会して、2ヶ月ほどが過ぎた頃、K先生に食事法について聞きました。

「プロティンは1日何回摂ればいいんでしょうか?

私は健康体力研究所のパワープロティン1000をトレーニングする日に2回、トレーニング前とトレーニング後にそれぞれ10グラムずつ、オレンジジュースに混ぜて飲んでいます。

もっと増やしたほうがいいですか。

それからトレーニングしない日も飲んだほうがいいですか。」

私は『月刊ボディビルディング』に載っていたトップビルダーの食事法をまねていました。

しかし、K先生から帰ってきた答えは意外でした。

「えっ、プロティンなんか飲んどるの? そんなもん飲まんくていいよ。
まだ、身体ができとらんうちから飲んでも意味がないわ」

と言われました。

「えっ、でも筋肉を大きくするためににはタンパク質が必要で、そのためにプロティンを飲むんじゃないんですか?」

と聞いたところ、

「いやいや、違うんだって。
プロティンは身体ができてから飲むんやて。筋肉を維持するために飲むもんなんやて。
身体ができてないのに飲んでも無駄や!」

という回答でした。

そうなんです。

「プロティンは筋肉が大きくなって、身体がある程度大きくなったら、その筋肉を維持するために飲むもの」

ということなのです。

実際にこのあと、この言葉の意味を真に理解し、実践して、自分の脳と筋肉にしみこませるには数年を要することになるのでした。

次章に続きます。

ボディビルを楽しむ4つの方法とは?

タンパク質の取り過ぎは毒!

「プロティンは筋肉が大きくなって、身体がある程度大きくなったら、その筋肉を維持するために飲むもの」

これは、最初に入会したトレーニングジムの会長から教わった、筋トレに関するマインドセットです。

このマインドセットは、今の私のタンパク質摂取法の根幹となっています。

中年になり、健康管理をしっかりしないといけないので、タンパク質の取りすぎは禁物です。

若い頃のように、通常の食事が高タンパク食なのに、さらにプロティンを1日に3〜5回もとるなどという無茶はしません。

必要に応じて、1日1回摂る。

あるいは、タンパク質断食をするときは、一切プロティンを取りません。

幸いにも、このマインドセットのおかげで、若い頃に付けた筋肉を維持しながら、今も筋トレ、ボディビルトレーニングを楽しみながら続けています。

生涯スポーツしてのボディビルのあり方

それで今回は、ボディビルを楽しむ4つの方法について、私の考えを述べてみたいと思います。

私は35年間、ボディビルを楽しんできましたが、ボディビルを楽しむというと、普通は以下のような楽しみを思い浮かべると思います。

・自分で好きなように工夫してトレーニングをする

・筋肉を自分の限界まで発達させるために知識や情報を得る努力をする

・ボディビルコンテストに出場して自分の筋肉の発達レベルを確かめる

・トレーニングジムで知り合った仲間たちと楽しいお付き合いをする

・筋肉をつけて自分に自信を持ち、毎日ポジティブに過ごす

などのことが思い浮かびます。

あっ、これらは2003年までの私の個人的な意見なので、あなたの場合は違うかもしれませんね。

それで、2004年に日本体育協会公認資格のスポーツプログラマーを取得する過程で、講師の諸先生方から教わった素晴らしいマインドセットがありました。

それが、スポーツを楽しむ4つの方法というものです。

ボデイビルもスポーツの一種と捉えて考えてみました。

すると、上記で私が述べた楽しみ方がごく一部であることに気が付いたのです。

ボデイビルを含めた全てのスポーツに言えることですが、楽しみ方には以下に述べる4つの方法があると考えられます。

⑴する楽しみ
⑵観る楽しみ
⑶学ぶ楽しみ
⑷支える楽しみ

⑴のする楽しみは、ボディビルの場合、筋肉の限りない発達や表現力の豊かさなどの能力の向上を求め、勝つことを楽しみとするボディビルコンテストのような「競技スポーツ」に出場することが一つ。

そして、もう一つは日々のトレーニングを実践することにより、自分なりの筋肉の発達や体力の向上・健康増進の楽しみを求める「健康スポーツ」を行うことが挙げられます。

私の場合、今ボディビルは健康スポーツですね。

決して若い頃のように無理をしません。

⑵の観る楽しみは、ボディビルコンテストの会場へ足を運んで、コンテストの観戦やテレビ、ビデオ、雑誌、インターネット等での筋トレシーンを見て自分のトレーニングに対するモチベーションを上げたりすることです。

⑶の学ぶ楽しみは、ボディビルに関する学問を学ぶことです。

運動生理学、バイオメカニクス、解剖学、栄養学など多岐にわたるスポーツ科学の分野を自ら書籍やインターネットで勉強したり、講習会等に参加して専門家の先生から学んだりすることにより知識を得ることであります。

そしてそれが競技スポーツや健康スポーツの成果をあげることにもつながると思います。

⑷の支える楽しみは、ボディビルコンテストなどのイベントのスタッフとしてお手伝いすることや、トレーニング指導者として人に教えること、メディア等を通じて情報発信することで、自分だけでなく他人の役に立てる喜びを味わうことであると思います。

現在、私は主に⑷を中心に楽しんでいます。

このほかにも楽しみ方があるのかもしれません。

あなたの場合、どんな楽しみ方をしていますか?

機会があれば教えてくださいね。

以上、簡単ながら私のボディビル人生を紹介させていただきました。

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。